美味しく猿を食べる
コモドドラゴンが子供の猿を丸呑みする映像を見ました。
丸呑みにして美味しいのか?
と
ふと疑問が湧きましたが、
そもそも動物にとって食の楽しさとは
体や胃袋が満たされることだと思い、
人間のように塩胡椒を振って食べるなんてないわけですね。
世界中どこを探し回っても
食べ物に味付けしているのは人間だけです。
食事を楽しむとゆう考えを前提にすると
人間の食事は明らかに優れています。
最近読んだ書籍の中で
向こう10年でおそらく
スーパーやコンビニなどの
飲食を提供するサービスはなくなるとゆう話を知りました。
今でこそウーバーや出前館で
いつでも安全で美味しい食事を提供してくれますが
この10年ぐらいで
望んだものが自宅に配達される割合は極端に増えました。
食事、買い物、書籍、生活必需品。
ほとんどポチれます。
一家に一台冷蔵庫なんて言葉を
昔聞きましたが
この先の未来で
一家に一店舗コンビニがある時代が来ると考えるジャーナリストがいます。
配達とゆう概念から
自宅に小さなコンビニがセッティングされ、買い物の際にお金を払うと自宅で欲しいものが手に入ることになるとのことです。
ジュースを買いたければ缶ジュースを自宅のコンビニに常備してもらい、必要な時にお会計をして、その場で買うとゆう・・。
定期的にメンテナンスと商品の供給が行われ、
もはや買い物は家の中でするのが当たり前の時代が来るとか。
どんどん人間は体を動かすとゆう行為を失っていくのではないかと不安に思います。
ですが現時点では道を歩けば自販機で炭酸飲料が買えますし。コーヒーも飲めます。
月額でウォーターサーバーをレンタルすれば
ミネラルウォーターは自宅に常備され水がなくなる頃には業者が来て
新しいタンクを供給してくれます。
あれ?っと思います、
現時点でもそう言ったシステムが構築されているのなら、10年後には自宅にコンビニがレンタルできていても不思議ではないような気がします。
情報の伝達や電子デバイスの進歩で人の生活は明らかに利便性の高いものへ変化していってます。
私は万人に共通する一番の楽しみは食事だと考えます。
日本は飽食国家ですから新宿や新大久保あたりを歩けば
いくらでも美味しいものを食べます。
世界中の料理が東京で食べられると思っています。
美味しいものを食べることそれ自体は大変幸せなことです。
食べることが嫌いな人は世界にほとんどいないと思います。
だからこそ感謝が必要だと思うのです。
コモドドラゴンは猿を丸呑みにします。
味付けしないで丸呑みです。
食事とは楽しいものですが、
本来の食べるとゆうことの定義は
おそらく命をいただいて飢えずに生きること
元々がそのことにあったと思います。
食の本質は命をいただくとゆうことだと改めて感じさせられました。
食べ物に感謝し夕食をいただきたいと思います。
読んでくれてありがとうございました。